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ユングの元型

元型(アーキタイプ)とは、私達が内面に抱いている基本的な概念の象徴です。心理学が誕生するはるか昔の中世の頃、すべての男性には「女性性」が内在するとされていました。のちにユングは、この内在する女性性をアニマと名づけ、さらに人格の様々な部分にも名前をつけました。

現在は、無意識が情報を比較、分類することが分かっています。自分の中に不調和な部分があることに気づいているとき、「内面と外面」「男性性と女性性」「老人・若者」「賢い・愚か」というふうに、対になった象徴が夢に現れます。夢は常に、普通の言葉では理解できないことを伝える手段となります。

夢に現れる元型には、人の影の部分を象徴するシャドウ、人の仮面を象徴するペルソナ、人の女性的な部分を象徴するアニマ、男性的な部分を象徴するアニムス、母性を象徴するグレートマザー、父性を象徴するオールドワイズマン、創造性と未熟さを象徴する子供などがあります。

自分の中にあるこれらの元型を否定しきれなくなったとき、人は自分の中に潜む人格の一面に気づき始めます。そして、夢に現れるイメージを見直すことによって、もっと多くの点に気づきます。夢に登場するイメージは、私たちが知っている人、あるいは架空の生き物、または伝説上の人物、または動物や鳥など様々です。

9つのアーキタイプ一覧

ここでは、主な9つの元型(アーキタイプ)について、それぞれ簡単に説明していきます。

シャドウ

人格の中でも最も厄介な側面はシャドウ(影)と呼ばれています。シャドウは、人の最も悪い部分や弱点の縮図のようなものです。はじめ、それは夢の中にぼんやりとした影のような姿で現れますが、通常は本人には認識できないか、または少々気にかかるものとして感じられます。

シャドウはよく自分の背後に現れます。ほとんどの場合最初は異性として登場するので、アニマアニムスと混同することがあります。後になってそれが自分と同性だったことに気づきます。シャドウは、おろそかにされ明らかにされずにいた部分であり、邪魔者扱いされ、一度も認められたことのない自分の人格の一部です。それは他の個人的特性の裏に隠れている人間の一面ですが、あまりに恐ろしく手にあまるので、私達はこれを抑圧しているのです。私たちの人格の一部が抑圧されると、悪霊の姿を装って夢に現れることがあります。誰もが自分の中に影、つまり自分では意識したことのない最悪な部分を隠し持っています。シャドウと対面する一つの方法として、他人の嫌な面を書き出してみるというやり方があります。自分はそのような人間ではないと、誰もが思うでしょう。しかし悲しいことに、勇気を出して他人に自分の印象を訊いてみると、自分がリストアップした嫌な特徴は、そのまま自分にあてはまることを思い知らされるでしょう。私達がこの恐ろしい側面を自分の人格として統合できれば、自分の欠点を受け入れることができ、その結果、他の真実も素直な目で見ることができます。多くの場合、シャドウは自分が否定的な感情を持ち、しかもなぜか気になる人の姿を装って夢に現れます。彼らを無視せず、夢を通じてその感情を表面化させるチャンスだと考えましょう。シャドウの存在を認め、それが現実認識の歪みであり、幼児期の誤解によってさらに歪んでしまっていることを理解しましょう。概して子供は、自分の中で物事に筋道をつける必要を感じると、筋が通りそうな現実を創り出すものです。そうすると、正しく認識されていない人格の一部を抑圧することになります。それ以外にうまく処理する方法がないからです。そして他者の人格の投影を受け入れてしまうことになります。なぜなら、自分の正当性を確かめる情報がないからです。内面の人格と外側の情報の間に葛藤があると、内と外のどちらの意識にも非常に破壊的な打撃を受けます。私達は夢を通じ、現実の世界でも自己の内面的な世界でも、自分を十分生かすことによって、シャドウを人格に統合することができます。夢は私たちに統合の必要性を警告すると同時に、そのプロセスを支えてくれます。夢を見ることによって、私達が自分の暗い側面に押し込んでいた正常な感情、正しい反応、創造性を取り戻すことができます。このシャドウというエネルギーを認めて利用すれば、もはやそれは敵ではなく、前に進むための追い風になってくれるのです。

ぺルソナ

人は誰でも社会生活を送るうえで、本能のままに生きていくことはできません。どんな状況でも、無意識のうちに仮面を被って生活しています。その仮面を被ることに疲れた時、それは無意識の警告として夢に表れます。その象徴となる物を、心理学用語でペルソナ(仮面)と呼んでいます。

ペルソナとは、もともと古典劇で俳優がかぶった仮面のことで、劇中の役の性格特徴をあらわすものです。このことからユングは、私たちが日常生活で社会から求められ、与えられる役割や身分のことを、また同時に、自分でもよしとする役割や身分にふさわしい態度と、それらしい顔やあり方を、ペルソナと名づけたのです。日頃自分がつけているペルソナという仮面について深く考え、これらと対話することで本当の自分の姿が見えてきます。たとえば、人から尊敬されるべき立場にあったり、教師や医師のような指導的な職業についている人は、ついついその立場上の人格と本来の自分とを混同してしまいがちです。その結果、仕事や立場を離れた時にもいわゆる「先輩風」や「教師風」を吹かせて煙たがられたり、家庭でも仕事の顔が取れない堅苦しい人になってしまったりします。あるいは、そうあるべきだという理想像や社会的役割に過度に適応したペルソナをつけているがゆえに、自分の気持ちや意思が押さえこまれて、いつもどこかイライラしたまますごしていたり、いつの間にか自分らしさを見失う結果になることもあります。これらはすべて自分自身のペルソナとの関係がうまくいっていないのです。このようなペルソナとの関係に問題がある場合は、同僚や家族はすでに気づいていることが多いので、それら周囲の人と対話することが、自分自身とペルソナとの関係を調整するきっかけとなります。しかしそれがかなわない場合、自分自身でそれを知るためには、自分の夢と対話するのがいい方法です。夢の中でペルソナは、その人の身分や趣味、雰囲気などをあらわす衣服など、身につけるものとして表現されます。たとえば、そこにあった上着を着て出かけようとしたら、上着が妙に小さくて、袖が短く気になったというような夢は、もしかしたら、あなたが他人にみせている態度が、自分自身よりも、子どもっぽく、幼稚な感じを与えているという意味かもしれません。もっと年齢相応に、おとなしくふるまわないと、他人に誤解されるという警告と考えてもいいでしょう。また、裸に近い姿で町を歩いていて恥ずかしい思いをしている夢などは、適切なペルソナをつけずに、素顔のまま、無防備で不用意なあり方で社会に対応していることを、夢が教えてくれている場合もあるのです。あるいは、裸でいるということは、ホンネどおりの、率直な生き方をしているということかもしれません。夢の中に出てくるペルソナのモチーフをきっかけに、社会の中の自分を冷静に考えてみるのも、自己認識を深めていくことにつながるでしょう。

アニマ

男性に内在する直感的で女性的かつ繊細な部分がアニマです。一方、女性に内在する論理と客観主義的傾向を特徴とする男性性は、アニムスと呼ばれています。両者は理想化された異性像で、経験やトラウマによって歪められがちです。この理想像に完壁に一致するような人は、この世にいません。にもかかわらず、若い人が異性とつきあい始めると、たいていは自分が理想とする異性像を相手に投影します。そして相手が理想に合わないと気づいて不満を感じます。あらゆる男女関係のトラブルの原因は、このように内面の理想と外側の現実を混同させてしまうところにあります。

夢の中で、アニマまたはアニムスは、異性を理解するための土台となり、自分の内面を見直すきっかけとなります。また、私たちの中の男性性と女性性が協力し合える可能性をもたらします。この二つの調和を無視すると、自分の中の大切な異性的側面とのつながりを断たれてしまいます。そうなると、たいていの男性は非常に神経症的で不安定な行動を起こすようになり、女性は攻撃的になるようです。男性は知り合うすべての女性、主に母親の影響を受け、理想の女性像が作り上げられます。アニマは夢の中では、見知らぬ理想の女性として登場します。夢は偏った意識を補正します。アニマは、男性が自分の女性性を活用しない時、例えば男性的な部分だけで偏って生きていたり、創造力やインスピレーションを得る必要があったりする時などに、夢に現れます。男性が自分の女性的な部分に気づくようになると、涙もろさや純粋な気持が発達します。また、自分の中にある広い心、哀れみの気持ち、鋭い洞察力、順応性など、女性特有の性質を受け入れるようになります。女性性を抑圧し続けると、突然理性を失い、気まぐれな行動に走るようになります。さらに、ネガティブな女性のイメージを出会う女性のすべてに投影し、女性の欠点が皆そろって同じであっても、その理由に気づくことができません。男性が自分の女性性をぞんざいに扱うと、アニマはあらゆる物事を破壊する存在となります。男性が自らの破壊的な側面を直視し、それを上手に処理する方法を学んだ時、アニマは内なる智恵へと導いてくれるガイドとなるでしよう。

アニムス

女性に内在する男性性の部分をアニムスと呼んでいます。子供の頃の男性との関わり方が、内なる男性性と理性的な側面の発達に大きく影響します。身近にいる男性が自分自身について十分に理解していないと、女性の中のアニムスは、その理解不足の状態をそっくりそのまま身につけてしまいます。内なる男性性を自分の中にうまく統合できれば、それが女性の成長につながります。


Tiago Ribeiro

アニムスは人によって全く異なりますが、アニムスの部分を発展させ、それが完全に別の人格であると認めると、アニムスを心の奥底へのガイドとして活用することができるようになります。その時女性は、自分にこう問いかけるようになります。私が男性ならどうするだろう? 多くの場合、アニムスは、男性性を発達させる必要があることを知らせるために夢に現れます。自分がこれまで身につけてきた、いつもどおりの習慣的な考え方によって自分の判断に歪みが生じた時、苦悩が生まれます。その習慣的な考え方を真実として伝えられてきたため、自分自身で判断することができないのです。自分で判断する力を身につければ、内なる男性性を有意義に活用でき、男性と不必要に競い合うことも、他の女性と争うこともなくなります。また、相手を批判することなく淡々と判断し、柔軟に行動できるようになるでしょう。男性にとってのアニマと同様、女性は自分の周囲の男性にアニムスを投影します。否定的な性質のアニムスに支配されていると、成功しなければならないと頑なに思い込み、意固地で利己的になるようです。自分の男性性を映し出していることに気づかず、常にイライラして、相手の男性に反抗的になります。そして、自分の責任を自覚するまで、延々と人間関係の破綻を繰り返します。本人が責任を取り始めた時、やっと人生が好転し始めるのです。

グレートマザー

ユングは個人的な母親像を超えた「母なるもの」あるいは「母性」の元型グレートマザー(太母)が人間の無意識の深層に存在すると考えました。


Stefano Montagner - The life around me

この元型は、単に私たちと実際の母親との関係を示しているのではありません。絶対的な優しさと安全感を与えてくれるもののイメージなのです。また、グレートマザーが象徴する母性には二面性があり、すべてを包み込み、はぐくみ育てる「善い母」のイメージと、逆にすべてを呑み尽くす「恐ろしい母」のイメージがあります。この元型を探求するために、女性は自分の各機能のすべてを最大限に活用し、表現する必要があります。そのためには、感情、感覚、思考、直観を、武器ではなく道具として利用しなくてはなりません。しかし、多くの女性はこのイメージの存在を知らず、グレートマザーの力を自覚していないために、この偉大な力は勝手に本能的な行動をして、ものを育てるだけではなく、呑みこんでしまうこともあるから注意しなければなりません。面倒を見すぎて子供ダメにしてしまう母親、過保護な教育ママは、その典型です。子供を育むのではなくて、自分の意のままに支配、コントロールしようとするのです。それもわが子がかわいい余りの行為なのですが、結果としてその子をダメにしてしまう。その子の将来性までも「飲みこんでしまう」恐ろしい母親のイメージです。その人の心のなかに母性的な要素が少ない場合も、マイナスイメージとしてグレートマザーはあらわれますが、究極的には、グレートマザーは、目指すべき理想の女性像でもあります。否定的な「飲み込む」母のイメージを払拭すべく、自分の心のなかの「母なるもの」のイメージを豊かに育んでいけばいいのです。夢のなかでは、自分の母親をはじめ、祖母、おばさんなどの姿となってあらわれます。職業としては、女性の看護師、保母、女性の教師、女性の上司、尼さんなども、グレートマザーの象徴です。また、グレートマザーの否定的な型として、口裂け女や魔女、やまんばなどとなってあらわれます。怪獣やドラゴン、渦巻き模様や、迷路、洞穴、地下世界なども、グレートマザーの象徴と考えられています。

オールドワイズマン

母なるものの象徴としてのグレートマザーに対して、「父的なもの」のイメージをあらわしているのがオールドワイズマン(老賢人)です。


Richard Kardhordo

最も適切な答えが自分の中にあることを悟った時、夢にこのオールドワイズマンが現れます。自分の奥底の無意識という深い泉から、擁護者として現れ、素晴らしい考え、思いつき(アイデア)やひらめき(インスピレーション)もたらし、創造的な行動を起こさせる刺激や活気、実行力、忍耐力を与えてくれます。その意味でオールドワイズマンは、精神的支柱もしくはリーダーとしての父親の理想像であり、男性の成熟した人格像です。オールドワイズマンのイメージは、そこで、女性のファーザー・コンプレックスとも密接にかかわっています。あるファーザー・コンプレックスをもった女性の夢に、実り豊かな畑の中の雄々しい穀神である巨人の手のひらの上で遊んでいる情景がでてきましたが、彼女は人生を自分で生きずに、心の中に住む父なるもの、すなわちオールドワイズマンのイメージによりかかり、いつまでもその保護のもとで遊んでいるという心理状態をあらわす夢と考えていいでしょう。これでは、この女性は、いくつになっても大人になれないし、甘ったれで、依存的で、一人立ちできません。しかし、こんな時に無理に自立しようとしてもダメで、まず、ゆっくりオールドワイズマンのイメージと遊んで、十分満足すれば、自然に自分の子どもっぼいあり方が理解できるようになるでしょう。オールドワイズマンは男性の理想像ですが、夢の中では、しばしば、権威のある姿として、男性であるあなたを導き、高い山の上などに連れていって、人生のさまざまな問題に対する自覚を促し、男らしさや勇ましさをもたらします。もちろん、オールドワイズマンはいつもいい役割ばかりとるわけではなく、否定的な グレートマザー の呑みこむ面のように、悪の大王となって、男性をこらしめることもあるでしょう。オールドワイズマンには、オリンポスの支配者ゼウス大神だけではなく、冥界の王ハーデスや、海神ポセイドンがもつ死や破壊のイメージともかかわっているから、夢の中の仙人や予言者にはよく注意することです。聖書には、にせの預言者もいると書いてあります。特に自分がオールドワイズマンや、神々になったという夢は危険で、現実を離れて、日常生活から浮き上がってしまった状態を指します。オールドワイズマンは、老人、仙人、童子、男神、穀神、稲妻、雷鳴などの形で夢にあらわれます。

セルフ

セルフ(自己)とは潜在能力を表す元型であり、通常は表出している人格の背後に隠れていますが、時が来ると完全性の象徴として表面化します。

セルフは人格の各部分と、それらを統合するための秘密を握っているのです。私達が夢の中でセルフと初めて出会う時、たいていは聖なる存在あるいは自分が崇拝する存在(キリスト、ブッダなど)として感じます。それは、私達一人一人の中に存在しているにも関わらず、気づかずにいる高次元の資質なのです。そこから受け取る知識を十分消化していくにつれ、自分の真の姿を直接認識して幸せを感じるようになります。セルフからの知識は、理解して信じる価値があります。それは、すでに知っているけれど意識せずにいた情報として感じられるでしょう。私達は、人間とだけではなく、ありとあらゆる存在たちと交流しているのです。この偉大なる全体の一部を担っていることに、私達は感謝しなくてはなりません。指導者、神、気高い動物、十字架、マンダラ、その他の幾何学模様など、セルフを示すイメージが夢に現れ始めたら、それは完全性を身につける準備ができているしるしです。そうなると、物質的な欲求と精神性を追求する気持の間で当惑するかもしれませんが、この両者の需要と恩恵に注意を払えば、必ず順調な人生を歩むことができます。悪魔や復讐の神といった否定的なイメージを夢に見たら、それは自分本来の能力を忘れないようにという忠告です。前進し、変化しようと私達が決心すると、よくこのようなイメージを見ます。決心しなければ、強制的に変化が訪れることになるでしょう。

エゴ

夢の中のシーンを客観的に観察している側面を、エゴ(自我)と呼んでいます。

夢の中では、いっそうエゴとパーソナリティの他の側面との摩擦に気づきやすくなります。エゴは、私達の一部として現実の世界を把握する役割を果たしています。しかし、心のあり方を常にチェックしないと、自己欺瞞に陥り、現実の生活に悪影響を及ぼしかねません。心の中でエゴが他の側面と分離すると、現実に対する認識が歪み、自分の世界観に合わないものを受付けなくなります。すると利己的になり、人づき合いが苦手になります。このような傾向が強まると、エゴ以外の側面が夢を通じてバランスを取り戻そうとして働きかけるのです。客観的に自己批判を行い、夢をきちんと観察していくと、心のバランスが回復されていきます。私達は、理性と想像力の間を取り持っているエゴをきちんとコントロールしなくてはなりません。

子供

夢の中では子供があらわすイメージは、重要な象徴的なもののひとつと考えられています。

赤ちゃんから、幼児、少年、少女などの姿で、オールドワイズマンとセットとなってあらわれたり、オールドワイズマンが、子供に姿を変えてあらわれたり、子供オールドワイズマンに成長していくこともあります。子供の存在は、ふつうエネルギーにあふれ、新たな可能性を充分に秘めているものです。夢の中の子供たちは、あなたの固くなりかけた頭を柔軟にしてくれるでしょう。また少年や少女の透明な純粋さ、創造力も魅力的です。マイナスのイメージとしては、あなたの中で現実感覚が乏しくなっている場合や、夢見がちで、現実逃避の傾向かあるときに、子供の夢が忠告してくれる場合があります。そんなときには、もう一度、現実を直視してみるといいでしょう。