「易経」とは?

変化の書『易経』は、世界の文献のなかで最も重要なもののひとつです。その起源は伝説に包まれた太古の昔にさかのぼります。そして中国文化5000年の歴史に登場する偉人や重要人物のほとんどが、『易経』からインスピレーションを得たり、その文章や意味の解釈に寄与したりしています。

『易経』の元となるものが作られたのは、4500年ほど前です。その頃伝説の皇帝伏義(ふくぎ)が、3本の線からなる8つの卦を書いたといわれています。

その後、周(紀元前1150-249)の創始者である文王は、この八卦を組み合わせて六四卦を作りました。文王はまた六四卦のひとつひとつに短い判断の文句「卦辞」を添え、定評ある『易経』哲学の知恵の土台を築きました。

さらに文王の息子である周公は、卦のひとつひとつの線「爻」についての言葉「爻辞」を書き、それぞれの爻に意味を与えました。周公の作り上げたものは「周易」とよばれるようになり、占いに使われるようになりました。数多くの古史書にも記録されているこれらの易は、『易経』の哲学を大きく広げ、『易経』に占いとしての意味を与えたのです。

この『易経』の本文、卦辞や爻辞、さらにはその喚起するイメージについて、生涯を傾けて研究を行ったのが孔子です。孔子は「翼(よく)」とよばれる一連の解説書を書くことによって、易経の世界をさらに広げました。

『易経』だけは独裁者、秦の始皇帝が行なった有名な焚書坑儒でも、他の古典とともに燃やされる運命をまぬがれました。その頃までに占いと魔術の書としての地位を確立していたからです。

『易経』が知恵の書とみなされるようになるのは、さらに下って226年頃のことです。宋の時代(960-1279)までには、『易経』はますます発展し、経世と人生哲学の書と考えられるようになりました。

中国最後の王朝、清の時代には、『易経』の解釈と解説は、再び魔術的な色彩を帯びるようになりました。そして今日では中国の高尚な占いの書とみなされています。

『易経』の集大成が最終的に成立したのは、清の康帝(こうき)(1654-1722)の時代のことでした。

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